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「ただいま!」そんな明るい声で真冬の寒い時期、小学校から帰宅しても「お帰り、寒かったでしょ?」そんな返答はなく、唯一迎えてくれたのが家族の犬のポンちゃん。

トイプードルのポンちゃんは、純粋な丸々とした目でこちらを見て喜びを体全体で表現している。

(寒かったでしょ)こちらの気持ちを察知するように、身体をこすりつけて膝の上に飛び乗って来る。

テーブルの上には大量のカップラーメン。

それにお湯を入れ、出来上がったスープを飲み体を温め直す。

あったかい。

唯一、私が感じられたぬくもりは、ポンちゃんとあたたかいカップラーメンだったのかもしれない。

両親は共働きで帰宅はいつも深夜。

夫婦仲が良くないので、父はいつも酔っぱらって帰って来る。

そして両親の喧嘩の声で私は目が覚め緊張を抱きながら布団の中で震えている。

「あんたがいなければあんな親父ととっくに別れているわ」

そんな事を毎日のように言って来る母。

「お前は俺の言う事がきけないのか」

そんな事を言いながら暴力う振る父。

私の口癖はいつもごめんなさいだった。

そんな日常を過ごしていてもそれが家族と思っていた。

小学校の時同級生たちが誕生日にプレゼントをもらったとか、クリスマスにはサンタさんが来るとか言っていたけど誕生日には

「生んであげたんだから私に感謝をしろ」

「私を祝え」

そんな事を母から言われていたので、誕生日は母親を祝うイベントかと思っていた。

クリスマスには

「キリスト教でもないのに祝うやつは馬鹿」

「おもちゃ業界にうまく躍らされているだけ」

そんな事実を知ってしまうと、クリスマスに浮かれている同級生は馬鹿なんだと思っていた。

当時は、学校から帰っても食器を洗い掃除をして、洗濯をしてトイレ掃除をして少しでも手を抜くと夜中に帰宅した両親からの折檻が待っている。

寒い冬にベランダに朝まで放置。

食事は2.3日抜き。

ご飯をペット用のお皿に移し、お箸やスプーンを使うのは禁止で口だけで食べさせる。

涙を流しながらあやまったけど中々許してくれなかった。

でも、両親の事は愛していた。

愛されていなかったけど愛が欲しかった。

そんな両親がついに離婚をし、私は母親について行く事になり、今までよりもかなり過酷な貧乏生活が始まり、母は夜の世界で働き朝まで帰って来る事がない。

時には何も言わず3日間くらい家に帰ってこず冷蔵庫の中を探しても何もない。

(お腹すいた・・・・・・お腹すいた・・・どうしたらいいの・・・)

泣きながら近所をうろつき母親を探していると近所の人が心配して食べ物をくれたり、警察に行こうかと言ってくれたけど、私はかたくなに首を振っていつ帰って来るか分からない母を待っていました。

「今日からあなたのお父さん」

母から突然そんな事を言われ戸惑っていると

その人は「可愛げのないガキだな」

そんな捨て台詞を吐き、日常の生活では私の事を無視するようになりました。

ある時、その義父が今までにない変な目つきで私の事を見て来るようになり嫌だな、逃げたいなと思っても子供の私はどこにも行く当てがありません。

その変な予感は的中し義父と2人になった時、ベロベロに酔っぱらった義父は私にいたずらをしてきました。

激しく抵抗しても大人の男の人に勝てる訳がありません。

「お前の母親から許可はもらってんだ」

その一言を聞いた時私の体の力は一気に抜け考える気力がなくなっていました。

実の母親がそんな事を言う訳がないと頭では理解しても、感情がついて来なかったのかもしれません。

その事を母に言うかどうか迷いましたが、事実を言う事で母が抱きしめてくれる。

あの人を追い出してくれる。

そう信じて

「お父さんにいたずらされた・・・」と告白したら

「この泥棒猫!」と、タバコの火を押し付けられました。

当時の状況はよく覚えていません。

ただ、その事が義父の耳に入ってしまい

翌日学校から帰ったらポンちゃんがいなくなっていました。

ポンちゃんポンちゃんと探し回り、涙がとめどもなく溢れ、半狂乱になる私を見て義父は嘘をいうとこういう目にあうんじゃ!と恫喝をしてきました。

ごめんなさい、ごめんなさい、

ポンちゃんだけは返して、何でも言うことを聞きますから!お願いします、お願いします!

そんな事を言っても聞き入れてくれるはずがなく、ポンちゃんに二度と会う事は叶いませんでした。

後で分かった事ですが、保健所に連れていかれて安楽死の処分だったようです。

物心がついたころからいつもそばにいてくれたポンちゃん。

唯一私の味方だったポンちゃん。

親に怒られても殴られても心配そうに私を見て来て傷ついた心と体を舐めてくれるポンちゃん。

怖かっただろうに、辛かっただろうにどんな気持ちだったんだろう。

私のせいで、私のせいでごめんさない。本当にごめんなさい。

子供の頃、貧乏なので着る服はいつも同じ。

お風呂も水が勿体ないと言う事で真夏でもシャワーは3分以内、それも週に2回だけ。

そんな感じだったので、同級生からのいじめや仲間外れなどは当り前にされていましたが、先生からの嫌がらせも凄かったと思います。

クラスメイトの目の前で

「おい、〇〇お前な~給食代払えよな、小学校は義務教育だけどお前給食食ってんだろ」

「って言うか、お前風呂入ってんの?すっげー匂うぞ」

と、笑いながら小ばかにして来る先生と、そのやり取りを面白がって爆笑するクラスメイト。

恥ずかしくて、悔しくて顔を下に向けたまま何も言えませんでした。

学生時代楽しい思い出はありません。

修学旅行もお金がないので欠席。

学校でのイベントやクラスごとに撮る写真も、お金が勿体ないと言う事で買ってもらえませんでした。

生きているのが地獄。

人は生まれて来る家庭を選ぶ事は出来ない。

幸せな人ならこの親を選んで生まれてきた。

そう言えるかもしれません。

ただ、私の場合は愛がなかった家庭で育ち大人になった今、この親たちに頼る事は一切ない。

そう強く生きて来た事がのちの摂食障害やパニック障害、うつ病、に繋がったんだと思います。

現在私は32歳になり、地獄だった子供の頃とは真逆の幸せな人生を歩んでいます。

人よりも喜びがなかった人生なので些細な事でも喜びが大きく、日常の何気ない出来事でさえも幸せを感じる事が出来ます。

それが神様から贈られた私へのギフトなのかもしれません。

※この記事は私の実体験ですがここに書けなかったおぞましい事はまだまだ沢山あります。

私よりも不幸な人生を過ごしてきた方はいるのかもしれません。

ただ、頑張って生きているとチャンスが舞い降りて来るのも事実。

あんな人生だったら良かったな、そう嘆いて何も出来ない人生よりも少しでも前を向いて歩き出す。

それが自分を変えてくれるはずです。